沖縄から全国、そしてアメリカへ、高みを目指し続ける期待の新鋭
◆更なるステップアップへ、アメリカ留学を決意 高校入学当初は、沖縄時代には経験したことのない厳しい規律や生活のリズムなど環境の変化にとまどったが、1年生から主力として活躍。ウィンターカップで1年時に優勝、3年生時に準優勝を達成し、個人としても1年と3年時に大会ベスト5に選出されるなど同世代でトップの実績を残した。そして、彼が高校卒業後の進路として選んだのが、日本を飛び越えてのアメリカ留学だった。当時から「将来はNBA選手になりたい」という確固たる思いを抱いていた並里は、ちょうどこの年から始まった『スラムダンク奨学金』の1期生に選ばれ、プレップスクールのサウスケント校に進む。(プレップスクールとは通常の高校3年間に加え、大学進学を目的とした1年間の特別コースを併設している学校を指す) このサウスケントは、バスケットボール部が強いことでも有名であり、全米、そして世界中から将来のNBA入りを目指す若者が集まる。そんなレベルの高い環境は、並里の技術、フィジカルの成長を促進させるだけでなく、「サウスケントでは本当に負けず嫌いの選手たちばっかりで、ちょっとした練習でもハードにプレイしてくる。そこで自分も毎日、彼らをどうなったら倒せるのか考えていましたし、1つ1つの小さな部分でも勝ちたいと思っていましたね」と精神力も鍛えてくれる場所だった。 このようにアメリカで着実に成長を遂げていた並里だが、様々な要因から希望とするアメリカの大学進学が叶わず日本に帰国することになる。「当時、日本に戻るのは嫌でした。帰国はそのままNBA入りの夢を諦める形になると思っていたんです」と感じ落ち込んでいたが、福岡第一高校時代の恩師である井手口孝コーチから「アメリカの大学に行ったからといってNBAに行ける訳ではない。他の道からでもNBAに行くことはできる」と言われたことをきっかけに日本でのプレイを決意。JBLのリンク栃木ブレックスに入団する。 |
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